師弟関係って、ほんとはどうなんだろう?


修行の“しんどさ”、誰にも言えなかったあなたへ
こんにちは、美術修復を京都でやらせて頂いている坂本です。
このブログは、今「弟子」「見習い」として修行を続けている方や、かつてその道を通ったことのある方に向けて書いています。
修行ってもっと自由に語って良い場所があっていいと思うのですが、なかなか可視化されない世界ではないかと言う事で今、パソコンで文章を打っている次第です。
「修行って何を持って修行なのか……」
「親方(先生)との関係、よく分からないまま日々が過ぎているな」
「技は教えて貰えても、ビジネスとしてこれがローンチするのは誰に教えて貰えるのか」
そんなあなたへ、届きますように。
「これって修行あるある…?」と思いながら誰にも聞けない、なう。
そもそも、まずお伝えしたいのは、私自身は研修のみで内弟子を体験したことがありません。
それに、家督を継いだこともありません。
なので、一番ディープな部分は聞いている話でしかないのですが、それでも、修復の世界に入りたての頃は、ただがむしゃらで「まだまだ修行中だから」で済ませてきた。
研修でもそうですが、主体的にやっていかないと時間に溺れてしまいます。
でも、こういう一番暗い時期の話ってなかなか外には出せない。
特にこの伝統産業の業界って、“修行=我慢して当たり前”みたいな空気が、まだまだある。
「しんどい」と思うのは、弱さじゃないと思う
「厳しさの中に意味がある」
「伝統はそうやって継がれてきたんだ」
それは誰しも分かってます。
参入障壁がそもそも高いから満を持して(?)だと思います、誰しも。
でも、だからって、全部を飲み込まなきゃいけないの?って思うこと、駆け出しの頃にありませんでしたか?
ちょっとつらかった日、誰かに「それ分かるよ」って言ってもらえたら、それだけで救われることって、きっとある。
ただ、層が少なすぎて誰にも弱音吐けないのがこの世界の弱さでもあると思うんです。
修行の現場に正解なんてないからこそ(ほんまはあると思うんですけど、一応多様性の時代なので)、いろんな感じ方があっていいし、「疲れた」「違和感あった」っていう声も、もっと自然にあっていいと思うんです。
ただ、一向にそれは出てこない不気味さはあるなと思います。
辞めた人の話もためになる
私は性格上、京都の伝統産業のいろんな分野の若手のみなさんだったり、産技研の先生だったり、美術修復の諸先輩方だったり、結構ゆるくつながるのがすきなのですが、業界リタイア組の皆さんの意見も結構ためになるなと、思ったりもします。
「あのとき、自分を責めすぎてたなって今なら思う」 「新しいアイデアを口に出すだけで、裏切り者っぽくなるのつらかった」 「もう家には帰れないけれど、今のビジネスの方が好き」
こういう声が、ほんとに静かに、でも確かにあるもの。
これはもしかすると、今の時代の“修行”のあり方を見直すサインなのかもしれないなって、私は感じておりまして、それでインバウンド向けに「みんな弟子になれば良いじゃん!?」みたいなノリで金継技法を教えています。
「継続は力なり」=人生の勝者っていう時代はもしかすると終わったのかも!?
だから今、「こんなこと話せる場所があったらいいな」って思ってる
よかったことも、ちょっとしんどかったことも、自分の場合は。。。を共有できればなと思っています。
正解を押しつけられるんじゃなくて、「あ、そんな考えもあるんだ」って安心できるようなアイデアがあれば良いなと思っています。
伝統産業は斜陽産業と言われていますが個人的にはそんな安易な「全部もろとも終わった」みたいな話は、あまりないのではないかと思います。
足搔きたい人は溺れないように足掻くと思いますしね!
修行も含めて下積みって、すごく個人的な旅みたいなものだから、比べたり、否定したりするものじゃないと思うんです。
でも、ひとりで悩んでる時間が長くなりすぎる前に、どこかで心をちょっとだけゆるめられる瞬間があったらいいなって。
「それ、自分も感じたことあるよ」そんな一言に、支えられることがあるかもしれません。
このブログがあなたのちいさな安心になれたらうれしいです。






